SSブログ

療養日記

外はしとしと雨なので、義父宅のパソコン借りて寒中見舞いを作成しておりました。止んだら投函したいのですが、止むかな~…

 プレイバック入院:アイテム編

多分入院、手術しなければ体験、投与されなかった(される物も在るかな)薬や道具に関する雑感。

 医療用弾性ストッキング(股下タイプ)
入院中はほぼ肌身離さず装着していた、血栓防止用のストッキング、履いてる姿はミクシに写真載せて絶対領域とか言ってふざけてましたが…血栓はあらゆる梗塞につながるので特に手術前の期間、折れた方の足は必死に足首を上下しました、看護師さんの警告を受けて、まあ、ホントに出来たらシャレにならんからねえ

 T字帯
いわゆるふんどし、2組用意して下さい、と言われ看護師さんとの話で一つ私物(某洋品店で購入した)が在るのでそれを呈示したところ使い古して居たせいかやっぱ新しいの用意してと言われて…結局一枚しか使ってないです、手術時に装着。

 痛み止めの薬
入院当日からお世話になる、なんだかんだで折れているので当日の夜中はこれの所在など知る由もないのでナースコールで処方してもらった、同時に夜勤時の看護師さんはちょびっとイラッとしてるねなんて印象も抱いてしまた、まあそれ程でもなかったけど。それ以降、薬いただく度気持ち負けたーなんて思ったりしたけど本当に痛み止ってしまうから不思議と言うかありがたいと言うか、その時その時のメンタリティでも痛みは左右するもので、術後はアトから手術受けた同室さんの苦しみ聞く度…やはりお世話になってしまうのだった…

 座薬
これも痛み止め、手術した直後に一度だけ、自分が感じていたのは寝返りが出来ずに発生する腰痛と左右の足の重み、アト不安感ぐらいのもので実際の効果は分からないけどそれでも寝れて腰痛がなくなった時は安心しました。

 下剤
病院食は入院当初は普通食、いわゆるご飯は普通に炊いた物だったがお通じが来ないのでお粥食にされる、それでも出ないので処方されるのだが…手術後も自然には出ずに結局小さなボトル2個渡されて…以前から出したい時に出すと言う考え方だったので3,4日お通じないのは当たり前、場所換わるとしづらいと言うのも在るし出る時は出るのだけれど、結局今もお世話になってます、甘い薬です、娘にゃあげられん…

 浣腸
ついにはこれです、お世話になったのは入院当初と手術前だけですが、5分我慢してほしい、と言われたけどそれは無理でした、最初はてっきり出るなと思ったら薬しか出てないのであせった経緯もあり、多分病院ならではの体験、で、在りたい。

 尿瓶
ベッドから動けないのでこうなる、小水なので使うことに然程抵抗は感じられず、一物挿入する際プラスチック感が少し気持ち良かったりします、すいません。

 オムツ
使うのはパンツタイプではなく直接敷くタイプと言えばいいのだろうか、もうベッドから動けないと在らば恥じてもしょうがないのでナースコールでも堂々とお願いしたものですが当初いざしようともなかなか出来ません、しかも下剤なり浣腸なりで出した後もまだまだ残っていたりして、下痢腹状態で下着汚す寸前だった時も有ったし、排泄後処理してもらったりで、嬉しい様な、申し訳ないような、貴重な体験させて貰いました。

 温かいタオル
朝に顔拭き用、午前中に体拭き用が配られる、まあなんてことない濡れタオルだけど気持ち良いんだこれが、当然シャワーのが上行くけど顔拭きで目覚まして体拭きで自主トレ(ゴムチューブ)汗拭いて、結構お世話になってた。

 車椅子
術後、これに乗れた事が如何に有り難かったか、失礼を承知で述べるが、乗れて、さらに自走許可が出た時は“人間を取り戻した”カンジがした訳、トイレで排泄が出来る事、それに院内を巡る事が出来たからねえ、ベッド上生活から、運転が事の他快適だったのは院内が極めて平坦だしスペースが有った事によります、外だと多分大変。

 ピックアップ
4本足のサークル(カタチはスクエア)みたいな杖、歩き方を習うに一歩が小さく普段と比べたら全然先へ進めない訳である程度体力を必要としたが院内の行動をこれか車椅子か選択を迫られた際“骨密度を上げ、体力を取り戻せる”とリハビリ担当さんにも言われたので当然こちらを選択したのだが、後々の私生活考えりゃ当然そうだよなと考えている自分が居ます、でも言われてなきゃ甘えていたかも知れんなー…それ以来自分は体力取り戻さんと少しでも用事作っては院内をぐるぐる回るのでした。

 松葉杖
これからも暫しお世話になるであろう、現在自分の足です。リハビリ中では前向きだったのでバリバリ階段歩行してやろうとか考えてましたがそこまで至らず退院となりましたが、階段はバランスとるの今でもまだ心配なところあり、屋外も最初は結構体力消耗していた気がします。これからも気をつけなきゃなあ、でも早く長距離移動出来るようになりたい、さすれば作業復帰も近いはずなのだが!焦らないようにします。家族の心配もありますから。

 ところで、処方箋に痛み止めとそれ用の胃薬、座薬、眠剤と頂いたのだが回数に対して薬の数が合ってなかったりするのですが、基本お世話になるつもりはないからいいのだけれど…さっき陽が射したけどどうしようかな、寒中見舞いに一筆書かなきゃな。それではまた

退院日記

先日、退院しました。

大雪の影響で、入院する患者さんが急に増えてしまったと言うのも一つの理由です、個人的にも甘えてられませんし、一日でも早ければ少しでも安く済むかなとも考えた…ともあれ、まだまだ残雪も溶けた物が凍結する可能性も在るので外出にはまだまだ注意が必要です。皆様気をつけましょう。

先ずは入院を振り返ってみようと思います。

 リハビリ
自分が行った内容は平行棒においてのスクワット、歩行補助具(ピックアップ、松葉杖)による歩行練習、手術までの期間が(正月挟んでも)比較的短かったのと、(入院している患者さんの中では)若かった事も加え、担当さんには褒め殺しと思われる位褒められて、階段昇降もも何とかカタチになり、じっくり雪解けを見て屋外練習、と言うプランを立てていたが抜糸→退院と速攻でせかされたと言うか…それは別として歩行だけでなく手先、口先、脳とか器具やら設備やらかなり充実していた印象が残っています、流石義父が薦めてくれた病院だけ在って、です、感謝してます。

 4人部屋
入院が決まった日、部屋をどうするか…で救急の看護師さんからの選択肢はまず差額の発生する部屋とそうでない部屋、で、ない部屋を選択したから4人部屋になったのだろうけど、もしかしてもっと自分が若かったら個室なりいい部屋を選択したかも、でも基本性格ケチだからなあ…ともあれ、4人部屋だから楽しく過ごせました、プライベートは隔たるカーテンのみ、ベッドから動けない人はそこで排泄も済ます、自分も経験しました、今の年齢だから受け入れること出来たと思っている、若い時はもっとその辺過敏だったかも知れん。隔たりがカーテンだから面会なり病状も筒抜けなんだよね、最初の病室の御隣さんは凄く弱々しくて、腰を悪くしたせいかトイレへの移動を拒み一部の看護師さんにはいつも怒られてました、でも退院は一番早かったです。長期入院の方にはアドバイス頂いたり、1回移動したけどどちらの病室も比較的ほがらかに過ごせたのはカミさん達が同室の患者さんに声掛けて気を使ってくれたことなのかも。でも病室内で一触即発になりかねない事案もありました、一応病室内では他患者への配慮の為テレビ等音のなるものはイヤホンをお願いしているのだが、中にはイヤホンしない人も居ていつもラジオを聴いてる人が居てその隣に新たに患者さん入ったのだけど聴こえる様に“うるせえな~”と繰り返してた、その患者さんがベッドを外している時はラジオの当人が愚痴っていたので、ちょいと自分はどうしたら良いか考えてしまいました、只そのお二人さん、連日手術で以降互いに大人しくなったのですが当初新たに引っ越して来た入院暦が長い(前述の方とは別)患者さんに“同室さんうるさくて癖ありますよ~”とタレこんじゃったら看護師長さんの耳にも入っちゃったらしく退院当日、師長さんに頭下げられちゃいました。俺が一番、迷惑掛けてる???でも退屈しませんでしたお陰で。

 看護師さん
以前は“看護婦”と言われてた職業、“白衣の天使”と呼ばれている意味が分かった気がします。排泄系の処理、下洗い、ベッドの上げ下げ等あらゆる事に24時間やさしく対応してくれる訳で…かく言う自分もベッド上から動けない状態から始まったのでオムツへの排泄や下洗いも経験したのですが…一つ社会勉強になったかなあと、トイレで出来る様になった時がうれしかったス。まあ、担当してくれた看護師さん全員に感謝したいです。

 退院して2日目、カミさん両親宅に世話になっています。まだベッド生活からの名残か長時間座っていると背中と腰が痛いです、暫くは基礎トレと屋外の歩行を必須に生活サイクルを戻す所存、思ったより早く取り戻せそうな気もするけど、はしょって周りに迷惑掛けるのもアカンしなーと、仕事も速く復帰したいけど事の他落ちている体力を戻す事だな、と思います、まだ折れた足の方は体重掛けられないし屋内はケンケンの生活です、気は向いているので、頑張りますわ。望めば長距離移動が一人で可能になりたいね…早い内に

入院日記3

現在バリバリリハビリ中、ハリキリ過ぎて筋肉痛になる位だったりもする。まあベッドから動けない状態から始まったのだからその辺から自己流も含めて?やって来たの書いてみようかと、

手術前の動けない段階でやっていたのは朝方半身起こすかそうでないか位でラジオ体操してました、ホント腕タラタラ回す位にしかなってないが、朝飯後ゴムチューブ使った筋トレ、多分気休め程度だけど丸々やらないよりかはマシだと思われ、あとリハビリと言えるかわからんけど看護師さんから足を動かせと、折れた方は足甲(首)の上下運動、反対は曲げたり伸ばしたり、これは寝たきりの人の血栓対策、恐い物と聞かされ必死にやったさ、まあここから始まった。第一段階ね

本格的なリハビリは術後から、平行棒にてのスクワットに始まり最初はそこの往復だったけど、やがて歩行補助具の練習となるのがだいたいのカリキュラム、同時にベッドから車イスへの乗移り、移動も教えて貰う、この車イスへの移行が第二段階か、何せ排泄作業がベッド上からトイレになるのだから、さらに自走許可が出れば(それまではナースコールして車イスも押して貰う)煩わしさがかなりなくなる、まな板の鯉からの脱却、なんつって。

第三段階がピックアップ、リハビリ室で教えて貰う最初の歩行補助具、知ってる人も多いと思うけど印象としては机や椅子みたいの運びつつ折れた足に重みかけねっつうか、車イスに比べるとかなり体力がいるし前に進まない、汗も掻く、だけど体動かす事により骨密度を取り戻せるならば、と考えると否応なく移動手段でもこちらを選択するっきゃ無い訳でさ。現在院内の移動はこれ、許可出たときは嬉しくて院内をなるたけ探索したが思ったより面白味はないか…娘に読み聞かせる絵本の有る場所は分かったけど、以来なるたけ病室のある3階をくるくる回ってます、目線高くなったのが嬉しかったす、立ちションも洗面所の歯磨きも可になった。

そして松葉杖、現在練習中、ピックアップよりかは不安定感有りだが慣れれば楽、しかも階段の昇降も可になる、使い方もしっかり指導して貰うと只の補助じゃ無いって事が良く分かる、普段の生活でもそうだが気を付けなきゃいかんぞ、て、只生きるな、て、補助具は言っているようで、これが四で五が正常な歩行かしら、今暫し、精進する儂。

入院日記2

ベッドごと移動、まあこの日まで病室から一度も出てなかったので外?の様子は新鮮だったりするのだが、しかし病院のベッドそのままの移動はスペースがあまりギリギリで時折ぶつかりそうになったり、看護師さん大活躍、手術室で乗り換え、書類にサインし手術開始。

下半身麻酔である。腰に注射を打たれ時間は掛かったが足先が痺れて来て、変な格好させられて…あとは痛みなのかそうでないのか、これは切っているのか、これは穴あけか、これはこれはこれは…まあ大事なとこに管通してるとこだけ分かった、麻酔効いてるだろうけど。痛い、と感じたのはその管反対の足の付け根部分にテーピングで固定した時?痛みのレベルがごちゃ混ぜ…

無事に完了したみたい、苦しみはその日の夜、段々と足は動くようになる、何より苦しんだのは腰痛、兎に角仰向けが辛い、枕を挟んだりして対応したがほんの一瞬しか寝れない、思い切って横にしてもらう、折れて繋げたばかりの足が下になって余計不安…そして逆方向、今度は繋げた方の足の重みがモロに来てホント大丈夫なのと看護師に問いただしたり…点滴の傷み止め…座薬…不思議と寝れる、で目覚めた時足の重み傷みは変わらずなのだが腰痛はすっかり取れていて、最後に仰向け、苦しみから大分解放される。一日苦しむと言われたが、ちょっと救われた気分。

管を抜いて貰う、ちょっと驚いて声出てしもうた、此方も長く世話ならずに済んでヨカタわ…それにしても固定するテープの粘着力強くないか?気のせいだろうか。

2、3日安静ね、と看護師さんに言われるも夕方剽軽な姉ちゃんがリハビリしましょう、と自己紹介、まあなんか、今までほぼ自分中心で時動かして居たんだな、と手術の日辺りから痛感したり。車イスでの移動、これ出来て排泄トイレで出来るので、やる気アップ。最初手術した足を下ろしたとき重みで骨がなりおおお、だったが車イスで移動は褒め殺し?けっこー快適、平行棒をこなす。以後、車イスが楽しいのか小水が近いのか度々トイレへ。

2日目は歩行補助具?外ではこれ使うお年寄りよく見ますが、それで50メートル歩いた、平行棒スクワット含めハリキリ過ぎたから明日筋肉痛かも…今のところ、リハビリ楽しいです。

先程、点滴も終わりだと看護師さんが言いました。ご飯もお粥からご飯に戻るみたいだし。

入院当初、一番申し訳ないと思ったのは娘、暫く一緒に遊べないし、正月娘と対峙して泣く寸前だったょ。

入院日記1

まあ、暇なんでぇ…たまに更新すまする。

入院が決定し、差額が発生しない相部屋を選択、リクライニングは看護師さん呼ぶ以外多分他の部屋と変わんないだろうね、ってカンジ。カミさん達に蕎麦と必要なもの買って来て貰って、記念写真撮ってお別れ、人生初、病院にて年越し、コンビニ蕎麦をなるたけ音たてず口に放り込んで寝たり起きたり、一時痛みに苦しんだが看護師さんに薬を頂き、この日は朝方まで寝たのかな、靴べらでカーテンを開ける。外を見ると見事に日の昇る方向で初日の出を拝む事が出来た。

初めに挨拶したのは手術の担当医、多分俺より若くて、少し声の低い人、手術は来週の水曜日辺りだろうと告げられ病院生活が始まる。

骨折した方の足にバスタオルを挟み、兎に角血栓を作らぬ様に足首を動かせと…小水は尿瓶、ウンコはオムツで…特にウンコはなかなか出ずに結果的に浣腸の世話になる、まあそこからは出るようになりますた、出てからは看護師さんが処理してくれるのだが思ったより丁寧でないかもと…シーツの汚れとか時折感じる臭気とか、生物本来の臭いだろうか。

痛みを予見しつつ時折薬を頂き、ベッド上で過ごす快適な生活?と言い聞かせる、要求する品物が我が儘過ぎてカミさんに幾度か怒られつつも。漫画、文庫本、パズル雑誌、音楽鑑賞、テレビ、メモ書き。筋トレ様にゴムチューブ頼んだのだが、最初持って来たのが本物の自転車チューブ、実践すると布団の上に無数のゴムくずが落ちて掃除面倒なので変えて貰って。てな日々を過ごしましたとさ。

結果的に手術は2日早まり月曜日に、前日夜より絶飲食、辛そうと思ったが点滴ガンガンで其れほどでもなくて、当日朝、まずシャワー浴びた、キャリアー上ではあるが温タオルと違って気持ちエエわ、続けてCTスキャン、んで点滴受けつつ手術を待つ、携帯いじる位しかせず窓を見てた、面会時間で家族が来て、一旦皆が席はずしたら、看護師さんが手術ですと知らせてくれた… つづく

その置き土産とは?

お医者さんも看護師さんも当たり前だが大晦日も働いて居る訳で、担架で2度目の救急車、病院でベッドに乗せられレントゲン、俺自身は至って元気でお医者さんに毎年年越しですか?と訪ねたり、足は違和感有るが、そして…看護師さんより「入院ですね、とさらりと言われる、え゛…さらに医師さんには「骨折してます、

そらあーた後悔してもしゃーないでしょーがやき!!

多少ショック無いと言えば嘘ではない、今後家族や職場仲間に更に迷惑手数掛けることになるんだし。

ここで感謝したいのは又カミさんの発言であって
「休めと言う暗示だよ

今のところポジティブなのが自身の救い、後日手術予定、これも人生初だ、俺は厄様の落とした最後プレゼントを甘んじて受け入れることにしました。

人生全く以てハッピーダゼ!先程痛み止め貰ったけど色々有る人生を楽しめてるこったな、尿瓶は出来るで、後日おむつにも挑戦ですきっと。

私はこんな新年のスタートしました。皆様には少なからず痛み伴わずなよい年を迎えられるよう、心よりお祈りさせて下さい。

病床と言う名の楽園(今は)より
PARA拝

厄様の置き土産

お早うございます。


昨年は親父が亡くなりましたので形は喪中です。とは言えじいちゃん死んだときも特に気にせず、楽しんで行こうと思ったのか親父の意向で年賀状も書いたし親戚の集まりも在りました。なので新年御挨拶も年賀状もウェルカムでござい!な面持ち。


自分の身に起きた厄年らしい事と言えば前厄時だと思ったけど酒と整体で腰痛やっちまった事が一つ、初めて救急車に乗った。そして搬送先では車椅子。骨には影響なかったので薬処方して貰い帰った。


次は昨年時幾度か喉腫らした事か、これは家族全員やられた、そして黄砂アレルギーが疑われた。つい最近またかと思って咳を放置してたのがどんどん酷くなって肺痛まで患ってしまう、会社診療所で様子見ようと思ったがカミさんの至上命令によりレントゲン出来るお医者さんを検索、骨には異常なさそとの事で肺(胸)の痛みについては別の整骨院にて施術、テーピングして貰い現在も投薬中、もう少しで治りそうなとこまで来てる。



まあそんなでも悪い事ばかりではない、仕事や家族関係においては翻って良いことのが多い、仕事に自信持てたのとカミさんのサポート、娘の成長、ホントに感謝せねばイカンコト、腰痛の時はいろいろ施術してくれるところを紹介、トドメは“気の持ち方一つ”これで腰痛は克服出来た。咳については前述したけどカミさん当時かなりキツイ口調で当人もいっぱいいっぱいと言っていたが結果それが医者を替える判断に至り今は快方に向かっている、あそこで判断してなきゃ結果も判らず未だに胸を擦って居たに違いない、全く以て俺には素晴らしいカミさんで本当に俺の為に尽力してくれる、本当に感謝してます。



と、言う事を実は病院にて書いております。 大晦日カミさん方家族とボウリングを楽しみその直後事件は起きました。ボウリング場と言えば少し古いタイプのゲームが置かれて居たりしてそれを楽しんでました。キックしたパワーを計測するマシンにて思い切りやってやろうと思ったら滑って飛び跳ねて左鼠径部?を強打…そしたら立ち上がれん、カミさんの肩借りるも飛び跳ねても前に進めず、左脚は痛くて重みが掛けられない、痛みで変な汗、大丈夫と思う反面ヤバイかな、と思う自分が居たよ。カミさんが“救急車呼ぶ?”と問いかける、前例や先日カミさんから受けた助言も加味し考えた末、救急車を呼んで貰った、無事ならそれに越したことない、と言う面持ちでした。つづく

落葉

121205_0648~01.jpg 121208_1251~01.jpg

神社に足を運ぶと、落葉が出迎えてくれた。

風が強まる、銀杏の枝から沢山の葉が落ちる

娘が黄色いシャワーに戯れる。

ふと、以前路上で娘と会話した内容を想い出す、

「今はデートしてるけど、お前が大きくなって友達と遊ぶようになったら、お父ちゃんどうしようかね?

「またパソコンで遊べばいいよっ

娘は、自転車で神社までの坂道を半分くらい、こいで上がれるようになった。

枯枝に枯葉を一枚一枚、突き通す、ネックレスにしておばあちゃんにあげるんだって。

思い込み

あなたは、意図して逝ったのだと自分は思う。

自分自身の感性なので真実の程は定かではないが、当初は思いもよらなかっただろう自らの孫と戯れる事もし、自分達“子”の成長を見て、ある程度安心したのではないかと、そう感じている。

さて、あなたが家族になったのは27の頃か、自分は38だ、あなたに比べれば全然遅いのだが、家族を形成すると言うのは何とも難しいと言うのか、難しく考えているだけかも知れないが、難しいと思ってしまう。

満点の家族を形成する事、かと言ってあなたのケースが満点とは到底思えないが、大体満点どころか全てに満足している家族なんてのは更々いないと思う、満足なんザそれこそあなたの様な立場の人が持って行く想い出話でいいのではないか、でも、目指してみたいと感じてしまう自分が存在している訳で、

何だか書いている内にどうでも良くなって来た、良く分からない目的に文章化してみたくなり、熱上げて意気込んでみた結果がこれである、こんな表現てありなのかね。

表現って何だろう

創造って何だろう

家族って

言いたい事書き忘れた、家族持った年齢があなたより遅くとも人生はまだまだ長く、あなたと同様に(なのか?)娘が立派になるまで見届けなくちゃいけない、それまで試行錯誤苦労してその“満点”や持って行く時の“満足”に近くなってなきゃいけないんじゃないかって、今は当然まだまだ勉強中、そりゃ一生そうだろうが、自分は“主”の自覚も在り、こんなでも。まあ、見届けて下さい。

--------------------------------------------------------------------------

皆々様方へ

本年は春に父が永眠しました為、喪中にあたり年末年始の挨拶は遠慮しますが、私個人としてはあまり深く考えてないので年賀状も新年の御挨拶も歓迎いたす所存です、実際父も生前は祖父母が亡くなっても例年と変化なく正月を迎えてました、まあ、そんな感じで今後も変わらずのお付き合いをよろしく申し上げます。

はみだせ

 オリンピック、反原発デモ、花火、諸々、世間はそちこちでお祭りだった、実際街中歩くと浴衣姿が幾度となく視線の中に入る、そんな中自分は“はみだし”と名のつくイベントに足を運ぶ、“はみだし”とは言っても10数人は群れていたのでその時点で既に“はみだし”て無いのかも知れない、世間の絶対数を考えればそれかも、そんな事はどうでもいいけど、自ら決めて足を運んだと言う事は気に言ったからに他ならない。

 観客参加型オーブンマイクと言う言葉にはかつて入り浸っていた頃、それなりに納得して体得したつもり、結婚して家族も持ってしまって、スタンスはそっち生活に移ったけれど、時折顔出してはその時の俺自身と言うのを評価してみて楽しんでた、ある程度年月は過ぎたで在ろうこの日、生きて年月流れて熟成された分、まだまだ発展途上の自分が居る事に気が付いた、ステージの表現は勿論、後々感じた事では在るが家族としての生活だって、登り坂があってそれを登る気が在るってのはいい事、その最中に居るんだ。

 はっきり言うとね、ステージは大した事、出来てない、下準備はイベント知った当時からの妄想や記憶のみ、イベント始まる前も街中歩いて体感収集してなんていっちょ前の事やって会場の緩さにもあやかって挑んだ10分弱は…マイクの先しか見れなかった、時折迫りくる緊張に心で震えて真っ白くなりそうな頭から出来る限りの表面記憶を上手く剥がして言葉にして、なんて書いてみれば観てない人にもどんなんだったか想像出来ると思う、でも、思った。

これが一番俺らしい、俺独特の表現なんだ

って、俺が俺を楽しめた、俺を出せたって、言いたい事も幾らか言えただろう。他参加者さんの表現もそれぞれで、言葉の内容をちょっぴり楽しませて貰って、何より各々の声の響きが素晴らしかった、俺も満足出来たしね、会場も以前と比べてみると色んな物が落ちていて風通し良くなったと言うのか、マスターの風貌も共にすっきりしてた。まあ、偶にはいいよね、偶にだからいいよね、俺的には、又時間を置いて、気が向いたらこんな世界に触れてみようかな。


 ステージて言ってみたかった主題:いじめ、親父の事(家族)

 言えたら言いたかった事:街中散歩しての事、金子みすゞ、まど・みちお、新聞の情報etc…



幸せを感じる権利は誰にでも在る
活き辛いあなた
幸せを感じてもいいんだよ


結局は人が群れる、ってことなんだ
皆で笑いあえるか、喧嘩が起こるか、はたまたいじめが起きるか、ってのは
そこに居る人間達の空気、影響、行動…そう考えれば、大事なのは
如何に状況に気付けるか、それに理解出来るか
まあ誰もがその時打ち明けられるってのは難しいから
変な空気が流れちまうんだろ、おかしな方向向いちまうんだろ
それが行動に現れるんだろ


白黒つけたがる、その方が明確、爽快なんだろうけど
そうでなくてもいい事って
結構沢山あると思うよ


好みの女性のタイプはメンヘラです
ごめんなさい
だけど娘をそれにはさせたくありません、多分


他愛ない事をする
只、居るだけでも
妻と娘、俺は、幸せだ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。